読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

BUNTABI Project

BUNTABI = 文旅 / 偉大な文筆家たちの美しい文章を通じて、過去の日本を旅するProject

屋久島紀行 その2

場 所:鹿児島 屋久島

作 者:林芙美子

作 品:屋久島紀行

出版年:1950年

季 節:春

 

(引用)

バスの乗り場で、私は、朝方見覚えのあるおばあさんに逢った。麦生から安房までの二里あまりの道を裸足で味噌を買いに来たおばあさんであった。私は吊橋のところの荒物屋で鉛筆を一本買って、そこで茶をよばれた。親切な荒物屋の主人であった。おばあさんはこの店へ味噌を買いに来たのである。二里の道を裸足で買物に来たおばあさんに、麦生までバスに乗りませんかと言うと、おばあさんは、乗物に乗ると気持ちが悪いから折角ですがと断った。荒物屋の主人の話では、裏側の永田部落や、一湊あたりの人は、自転車も自動車も知らない人があるのだと言っていた。安房の村さえも見ないで死ぬ人もあるのだと話していた。おばあさんは買い物をかかえて、これからの夕暮れの道を、麦生まで歩いて帰るのである。二里の山坂は、このおばあさんにとっては少しも淋しい道ではないのだろう。

 ー(中略)ー

どの部落も、屋根には石が乗り、硝子戸のない、雨戸だけの軒のひくい家が、ジャワの土民の小屋のように、道の両側に並んでいた。その家々の狭い入り口から、ランプの灯がともっているのが見える。バスのヘッドライトに照らされる子供達は、輝くような眼をして、バスのぐるりに寄って来た。子供達は喚声を挙げた。みなバスのヘッドライトを浴びて、銅色の顔をしていた。バスは道いっぱいすれすれに、部落の軒を掠め、がじまるの下枝をこすって遅い歩みで走った。私はしっかりと窓ぶちに手をかけて、暗い道に手を振っている子供達を見ていた。かあっと心が焼けつくような気がした。家々に帰り、子供達は、二つの眼玉を光らせたバスのヘッドライトを夢に見ることだろう。私は時々窓からのぞいて、暗い道へ手を振った。

 

(一言)

1950年当時、屋久島には自動車がほとんどなかった。自転車を見たことのない人々さえいて、当時も靴を履かずに裸足で歩くのがごく普通であったことがわかる。本土からきた作者はこうした光景に”感動”を覚えている。感動の原因は非文明的な生活が珍しく思えたからではない。そこで生活する人々の、溌剌とした生命力に感動したのである。作品の最後で次のように言っている。「汽車や自転車もまだ見たこともない人もいるという、島の人達に、都会の文明は不要のもののように思えた。子供は絵になる生き生きした顔をしていた。娘は裸足でよく勤労に耐えている。私は素直に感動して、この娘達の裸足の姿を見送っていた。桜島で幼児を送った私も、石ころ道を裸足でそだったのだ」。

 

(関連サイト)

屋久島観光協会公式ウェブサイト

(公社) 屋久島観光協会 Official Website