BUNTABI Project

BUNTABI = 文旅 / 偉大な文筆家たちの美しい文章を通じて、過去の日本を旅するProject

法師温泉 その2

場 所:群馬 法師温泉

作 者:若山牧水

作 品:みなかみ紀行

出版年:1924年

季 節:秋

 

がらんどうな大きな二階の一室に通され、まず何よりも湯殿へ急いだ。そしてその広いのと湯の豊かなのとに驚いた。十畳敷よりもっと広かろうと思われる湯槽が二つ、それに満々と湯が湛えているのである。乏しい燈影の下にずぶりっと浸りながら、三人はただてんでに微笑を含んだまま、ほとんどだんまりのままの永い時間を過ごした。のびのびと手足を伸ばすもあり、蛙のように浮かんで泳ぎの形をなすものもあった。部屋に帰ると炭火が山のようにおこしてあった。なるほど山の夜の寒さは湯上がりの後の身体に浸みて来た。何しろ今夜は飲みましょうと、豊かに酒をば取り寄せた。

 

(一言)

若山牧水らが泊まった宿は長寿館だろう。今では非常な人気があって、宿泊予約するのも困難のようである。

 

法師温泉長寿館公式サイト

【公式サイト】老神(おいがみ)温泉旅館組合|旅館・ホテルの宿泊検索予約・観光情報

 

法師温泉 その1

場 所:法師温泉

作 者:若山牧水

作 品:みなかみ紀行

出版年:1924年

季 節:秋

 

(引用)

吹路という急坂を登り切った頃から日はようやく暮れかけた。風の寒い山腹をひた急ぎに急いでいると、折々路ばたの畑で稗や粟を刈っている人を見た。この辺ではこういうものしか出来ぬのだそうである。従って百姓たちの常食も大概これに限られているという。かすかな夕日を受けて咲いている煙草の花も眼についた。小走りに走って急いだのであったが、ついに全く暮れてしまった。山の中の一すじ路を三人引添って這うようにして辿った。そして、峰々の上の夕空に星が輝き、相迫った狭間の奥の闇の深い中に温泉宿の燈影を見出した時は、三人は思わず大きな声を上げたのであった。

 

(一言)

法師温泉までの急な坂道を徒歩で登っているのである。およそ100年前のことで、車などない。日の「全く暮れてしまった」山道は暗く寒く、心もとなかったことだろう。

 

野趣に満ちた温泉 -花敷或いは尻焼温泉-

場 所:群馬県 花敷温泉 尻焼温泉

作 者:若山牧水

作 品:みなかみ紀行

出版年:1924年

季 節:秋

 

(引用)

崖を降り橋を渡り一軒の湯宿に入ってまず湯を訊くと、庭さきを流れている渓流の川下の方を指さしながら、川向うの山の蔭にあるという。ひたひたと瀬につきそうな危ない板橋を渡ってみると、なるほどそこの切り削いだような崖の根に湯が湛えていた。相ならんで二ヶ所に湧いている。一つには茅葺の屋根があり、一方には何もない。苦笑しながら二人は屋根のない方へ寄って手を浸してみると恰好な温度である。もう日もかげった山陰の河ばたの風を恐れながらも着物を脱いで石の上に置き、ひっそりと清らかなその湯の中へうち浸った。ちょっと立って手をのばせば河の瀬に指が届くのである。

「何だか河まで温かそうに見えますね。」と年若い友は言いながら手をさし延ばしたが、慌てて引っ込めて「氷のようだ。」と言って笑った。

 

(一言)

花敷温泉の近くに尻焼温泉という川の流れを堰き止めて作られた温泉がある。作者が訪れたのはおそらく、花敷温泉ではなくこちらの方ではないだろうか。温泉が川の底から湧き出しているために流れを堰き止めて温泉としているのだ。現在はプールのように広々としたものになっているようだが、当時は小さかったことがわかる。

 

 

草津温泉の時間湯

場 所:群馬県 草津温泉

作 者:若山牧水

作 品:みなかみ紀行

出版年:1924年

季 節:秋

 

(引用)

私は彼を誘ってその時間湯の入口に行った。中には三四十人の浴客がすべて裸体になり、幅一尺、長さ一間ほどの板を持って大きな湯槽の四方をとり囲みながら、調子を合わせて一心に湯を揉んでいるのである。そして例の湯揉みの唄を唄う。先ず一人が唄い、唄い終わればすべて声を合わせて唄う。全身汗にまみれ、自分の揉む板の先の湯の泡に見入りながら、声を絞ってうたい続けるのである。時間湯の温度はほぼ沸騰点に近いものであるそうだ。そのために入浴に先立って約三十分間揉みに揉んで湯を柔らげる。柔らげ終ったと見れば、各浴場ごとに一人ずつついている隊長がそれを見て号令を下す。汗みどろになった浴客はようやく板を置いて、やがて暫くの間各自柄杓を取って頭に湯を注ぐ。百杯もかぶった頃、隊長の号令で初めて湯の中へ全身を浸すのである。湯槽にはいくつかの列に厚板が並べてあり、人はとりどりにその板にしがみつきながら隊長の立つ方向に面して息を殺して浸るのである。三十秒が経つ。隊長が一種気合いをかける心持ちである言葉を発する。衆みなこれに応じて「オオウ」と答える。答えるというより唸るのである。三十秒ごとにこれを繰り返し、かっきり三分間にして号令の下に一斉に湯から出るのである。三分間は、わずかに口にその返事をこたえるほか、手足一つ動かす事を禁じてある。動かせばその波動から、熱湯が近所の人の皮膚を刺すがためであるという。この時間湯に入ること二三日にしてわきの下や股のあたりの皮膚がただれて来る。歩行も。ひどくなると大小便の自由すら利かぬに到る。それに耐えて入浴を続けること約三週間で次第にそのただれが乾きはじめ、ほぼ二週間で全治する。その後の心身の快さは、ほとんど口にする事の出来ぬほどのものであるそうだ。杖にすがり、他に負われて来るものもある。そして湯を揉み、唄をうたい、煮ゆるごとき湯の中に浸って、やがて全身を脱脂綿に包んで宿に帰って行く。これを繰り返すことおよそ五十日間、こうした苦行が容易な覚悟で出来るものでない。

 

(一言)

今でもオフシーズンでは時間湯の体験ができるそうである。あえて皮膚をただれさせるほどの”苦行”ができるかどうかはわからないが。若山牧水は歌人である。草津温泉で3句を残しているが、そのうちの一句を記載しておく。

 

 湯を揉むとうたへる唄は病人がいのちをかけしひとすぢの唄

 

病人と書いて、やまうどと読ませている。まさしく命をかけての温泉治療である。

 

時間湯オフィシャルサイト

草津温泉の湯治 時間湯オフィシャルサイト

 

屋久島紀行 その2

場 所:鹿児島 屋久島

作 者:林芙美子

作 品:屋久島紀行

出版年:1950年

季 節:春

 

(引用)

バスの乗り場で、私は、朝方見覚えのあるおばあさんに逢った。麦生から安房までの二里あまりの道を裸足で味噌を買いに来たおばあさんであった。私は吊橋のところの荒物屋で鉛筆を一本買って、そこで茶をよばれた。親切な荒物屋の主人であった。おばあさんはこの店へ味噌を買いに来たのである。二里の道を裸足で買物に来たおばあさんに、麦生までバスに乗りませんかと言うと、おばあさんは、乗物に乗ると気持ちが悪いから折角ですがと断った。荒物屋の主人の話では、裏側の永田部落や、一湊あたりの人は、自転車も自動車も知らない人があるのだと言っていた。安房の村さえも見ないで死ぬ人もあるのだと話していた。おばあさんは買い物をかかえて、これからの夕暮れの道を、麦生まで歩いて帰るのである。二里の山坂は、このおばあさんにとっては少しも淋しい道ではないのだろう。

 ー(中略)ー

どの部落も、屋根には石が乗り、硝子戸のない、雨戸だけの軒のひくい家が、ジャワの土民の小屋のように、道の両側に並んでいた。その家々の狭い入り口から、ランプの灯がともっているのが見える。バスのヘッドライトに照らされる子供達は、輝くような眼をして、バスのぐるりに寄って来た。子供達は喚声を挙げた。みなバスのヘッドライトを浴びて、銅色の顔をしていた。バスは道いっぱいすれすれに、部落の軒を掠め、がじまるの下枝をこすって遅い歩みで走った。私はしっかりと窓ぶちに手をかけて、暗い道に手を振っている子供達を見ていた。かあっと心が焼けつくような気がした。家々に帰り、子供達は、二つの眼玉を光らせたバスのヘッドライトを夢に見ることだろう。私は時々窓からのぞいて、暗い道へ手を振った。

 

(一言)

1950年当時、屋久島には自動車がほとんどなかった。自転車を見たことのない人々さえいて、当時も靴を履かずに裸足で歩くのがごく普通であったことがわかる。本土からきた作者はこうした光景に”感動”を覚えている。感動の原因は非文明的な生活が珍しく思えたからではない。そこで生活する人々の、溌剌とした生命力に感動したのである。作品の最後で次のように言っている。「汽車や自転車もまだ見たこともない人もいるという、島の人達に、都会の文明は不要のもののように思えた。子供は絵になる生き生きした顔をしていた。娘は裸足でよく勤労に耐えている。私は素直に感動して、この娘達の裸足の姿を見送っていた。桜島で幼児を送った私も、石ころ道を裸足でそだったのだ」。

 

(関連サイト)

屋久島観光協会公式ウェブサイト

(公社) 屋久島観光協会 Official Website

 

屋久島紀行 その1

場 所:鹿児島 屋久島

作 者:林芙美子

作 品:屋久島紀行

出版年:1950年

季 節:春

 

(引用)

何処まで行っても、右手は峨々とした南画風の山が連なり、高い山は千九百五六十米もあるのだそうだ。標高も七百米の小杉谷斫伐所付近では、平均気温が十六度に下り、十二月降雪を見、翌年の三月まで、積雪しているということである。高山が連なっているせいか、一日中に、晴曇雨が交わり来るところである。バスでのろのろ走っていても、時々雨がばらつき、風が吹いた。台風の通路にあるこの屋久島は、一年中豪雨に見舞われるのだが、村の財政が窮乏のため、治水対策ははかばかしく運んではいない。五月の飛魚と、甘藷、それに林業くらいが、この島の財政である。

 

(一言)

作者が屋久島を訪れたのは5月である。寒さのために風邪をひいて体調が思わしくない。この時期に火燵まである。屋久島が2千メートル級の山をもち、冬には積雪に見舞われるとはこの作品を読むまでまったく知らなかった。

 

(関連サイト)

屋久島観光協会公式ウェブサイト

(公社) 屋久島観光協会 Official Website

 

雨飾山

場 所:長野

作 者:深田久弥

作 品:日本百名山

出版年:1964年

季 節:秋

 

(引用)

ついに私は久恋の頂に立った。しかも天は隈なく晴れて、秋の午後三時の太陽は、見渡す山々の上に静かな光をおいていた。すべての頂には憩いがある。梢にはそよとの風もなく、小鳥は森に黙した。風化し磨滅した石の祠と数体の小さな石仏の傍らに、私たちは身を横たえて、ただ静寂な時の過ぎるのに任せた。古い石仏は越後の方へ向いていた。その行手には、日本海を越えて、能登半島の長い腕が見えた。一休みして、私たちはもう一つのピークの上へ行った。案外近く、三十米ほどしか離れていなかった。下から眺めてあんなに美しかった、その二つの耳の上に立った喜びで、私の幸福には限りがなかった。

 

(一言)

それ以前、作者は二度登頂に失敗している。一度目は途中で登山路が切れており断念。二度目は連日の雨による断念。引用は3度目のもので喜びも強かった。「山は心をあとに残す方がいい、と言った人がある。一ぺんで登ってしまうよりも、幾度か登り損ねたあげく、ようやくその山頂を得た方がはるかに味わい深い。私にとって雨飾りがそれであった」という。人生訓のようでもある。

 

(関連リンク)

長野県小谷村の観光公式サイト

http://www.vill.otari.nagano.jp/kanko/nature/amakazari/