BUNTABI Project

BUNTABI = 文旅 / 偉大な文筆家たちの美しい文章を通じて、過去の日本を旅するProject

可愛い山

場 所:長野 北アルプス 白馬

作 者:石川欣一

作 品:山へ入る日

出版年:1929年

季 節:夏

 

(引用)

この下山の途中である。ふと北の方を眺めた私は、桔梗色に澄んだ空に、ポッカリ浮かぶ優しい山に心を引かれた。何といういい山だろう。何という可愛らしい山だろう。雨飾山という名は、その時慎太郎さんに教わった。慎足ろうさんもあの山は大好きだといった。まったく雨飾山は、ポカリと浮いたような山である。物凄いところもなければ、偉大なところもない。怪奇なところなぞはいささかもない。ただ優しく、桔梗色に、可愛らしい山である。

 

(一言)

作者曰く、雨飾山は「元より大して高い山ではないし、またいわゆる日本アルプスの主脈とは離れているので、知っている人はすくなかろう」とあるので、当然百名山はランキングされていないのだろうと思ったら、ちゃんとランキングされているのである。深田久弥『日本百名山』の”雨飾山”の項の冒頭は次のようにはじまる。”雨飾山という山を知ったのは、いつ頃だったかしら。信州の大町から糸魚川街道を辿って、佐野坂を越えたあたりで、遥か北のかたに、特別高くはないが品のいい形をしたピラミッドが見えた。しかしそれは、街道のすぐ左手に立ち並んだ後立山連峰の威圧的な壮観に目を奪われる旅行者には殆んど気付かれぬ、つつましやかな、むしろ可愛らしいと言いたいような山であった。私はその山に心を惹かれた。雨飾山という名前も気に入った。”

 

(関連リンク)

長野県小谷村の観光公式サイト

長野県小谷村観光公式サイト|雪と緑と温泉のふるさと、信州おたり|小谷の自然|雨飾山

失われた故郷

場 所:長野 霧ヶ峰

作 者:新田次郎

作 品:山と渓谷

出版年:1959年

 

(引用)

私の過去において、最も楽しかった時代は、中学校へ入ってからの五年間であって、この間私は、私の足で歩ける付近の山々はことごとく歩いて廻った。霧ヶ峰は今のように開かれておらず、夏行くと背丈のかくれるほどの草が茂っていた。採草地であるから、付近の村々で協力して、年ごとに刈取り区画を変えていた。

 

(一言)

採草地。草を採取する土地だろうが、利用目的がよくわからなかったのでネット検索すると、「牛馬の飼料、田畑の肥草(こえぐさ)、屋根用のカヤなどを刈り取る野草地」とある。かつてはススキなどが貴重な資源として牛や馬のエサ、田畑の地力を維持するための肥料として採取され、利用されていた。一度にすべて刈り取ってしまうと困るので村の人々で共同で管理したという。採草のニーズは今は廃れている。

 

秋の南アルプス その2

場 所:茶臼岳(静岡/長野)

作 者:新田次郎

作 品:現代の駿河

出版年:1968年

季 節:秋

 

(引用)

霧が晴れた。道が平らになる。ダケカンバの老木の根を踏み越えると、突然前が開けて、そこには神々の楽園があった。一瞬、立止って、姿勢を正して頭を下げたくなるほどの、自然のままの庭園であった。何百年経ったか分からないようなダケカンバの曲がりくねった木々の間に池があった。ひとまわりするのに、何分とはかからないような小さい池だったが、その池に、周囲の紅葉黄葉が映っていた。水は澄んでいた。神々の庭園の主体となる草原の中にミヤマリンドウが咲いていた。

 

(一言)

茶臼岳頂上を過ぎ、そこから少し下ると、とある小さな池のほとりに出た。その光景。

 

(関連サイト)

那須町観光ガイド

http://www.nasukogen.org/trekking/

秋の南アルプス その1

秋の南アルプス その1

 

場 所:茶臼岳(静岡/長野)

作 者:新田次郎

作 品:現代の駿河

出版年:1968年

季 節:秋

 

(引用)

起きるとひどく寒かった。晴れるぞという直感がした。きのうにくらべて、霧はずっと薄くなっているし、山のもの音が、なにもかもはっきり聞える。晴れる前兆なのだ。顔を洗いに下の川まで降りていった。紅葉が美しい。きのう来たときにはそれほど美しいと思わなかったのに、一夜明けて見て、こんなに色彩がはっきりして見えるのは、やはり光量のせいなのだと思った。このあたりには立枯れの老木が多い。立枯れの木の枝にクモが巣をかけ、その巣に露がひっかかって朝日に輝いている。数えたら、一つの木に六十ほどのクモの巣があった。

 

(一言)

茶臼岳山頂への途中の小屋で一夜を明かしたときの描写。前日は雨がちの天気だった。

 

(関連サイト)

那須町観光ガイド

http://www.nasukogen.org/trekking/

 

100年前の渋谷 その2

場 所:東京 / 渋谷

作 者:国木田独歩

作 品:日記

出版年:1896年

季 節:秋

 

(引用)

天高く気澄む、夕暮れに独り風吹く野に立てば、天外の富士近く、国境をめぐる連山地平線上に黒し。星光一点、暮色ようやく到り、林影ようやく遠し。

 

(一言)

100年前の渋谷にて。田山花袋の『東京の三十年』のおよそ20年前の光景。11月4日の秋のことである。渋谷公園通り付近の情景である。冬にも近づいた秋の夕暮れ。「空が高く、空気がよく澄んでいる。ひとりで風吹く野に立っていると、はるかな向こうにある富士が近くに見え、国境に沿って聳え並ぶ山々が地平線上に黒くわだかまっている。一番星が輝きはじめ、夕暮れがようやく訪れた。林の影が遠くに見える。」

 

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渋谷公園通り

100年前の渋谷 その1

場 所:東京 / 渋谷

作 者:田山花袋

作 品:東京の三十年

出版年:1917年

 

(引用)

宮益の坂を下りると、あたりがどことなく田舎いなかして来て、藁葺の家があったり、小川があったり、橋があったり、水車がそこにめぐっていたりした。私はそこを歩くと、故郷にでも帰って行ったような気がして、何となく母親や祖父母のいる田舎の藁葺が思い出された。小さい私は涙など拭き拭き歩いた。

 

(一言)

言うまでもなく、渋谷は最先端の若者文化の発信地である。いつでも人が混み合っている。僕も大学生時代は毎日のようによく通ってレコードなどを買っていた。夜になると学生や会社員などがお酒を飲む町だ。さらに少し前の1990年代前半の渋谷は治安が悪く、殺傷事件などもあってあまり近づけないような町だった。100年前の渋谷がそのような鄙びた場所だったということを今誰が知っているのだろうか。

 

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100年前の渋谷にはこのような茅葺きの小屋と水車があったとか(イメージ)

BUNTABI Projectとは

もし僕らがどこかを旅しようと思い立ったとする。旅先はどこでもいい。日本でもいいし、海外でもよい。そのときの僕らの取るであろう最初の作業はおそらく、ネット検索することだろう。検索エンジンに、目的地を含めたいくつかのKey wordをインプットすれば、たちどころに旅先に関係したウェブサイトがいくつも現れる。しかもそれらのウェブサイトはたいてい、美しい風景やおいしそうな食事などの画像が貼付けてあるし、行き方や見どころ、食べどころ或いは価格などの情報が余すところなく、かつ簡潔に紹介されていてるのだ。親切で便利なことこの上ない。文句のつけようもないし、つける必要もないのである。

 

ではそれで完全に満足しているのかといえば、どうやらそういうわけでもない。Key wordを変え、或いはサイトを絶え間なくサーフィンし、もう調べることのできるものは大抵調べたであろう、という段階になっても、なにかがすっぽりと抜け落ちているような、落ち着かない気分に襲われる。そして僕の場合はそうなのだが、結局、ネット上の情報収集だけではなかなか旅をするという”行動”の決定打にはならないのである。調べただけで終わってしまうことが多い。

 

Amazonで本などのモノを購入しようとすると、かならず商品ごとに5段階評価とレビューがついていて、とても参考になる。評価とレビューに少しも影響されずに購買することは、少なくとも僕にとっては至難である。Amazonユーザーである僕も頻繁に電子書籍を買うが、たいていそれらの質は、評価とレビューに相関していると思っている。

 

ところが旅先を決めるのに、僕の場合はそうした評価やレビューのある旅行サイトを利用しようと思ったことは一度もない(閲覧したことはある)。一体なぜだろう。はっきりとした理由はなさそうだ。だがもし強いていうならば、評価1位の場所は当然観光客で混み合っているだろうと予想するわけで、わざわざ行こうとは思わないし、かといって低い評価の場所にわざわざ出向くかといえば、そういう気にもならないからだろう。つまり電子書籍などのモノは僕という個人が使用するだけだが、旅という(ソフトな)行為は僕個人では閉じることができないというところに大きな違いがあるようだ。具体的に見てみよう。たとえばトリップアドバイザーで”鎌倉の観光地”を検索してみる。トップ5は今時点では次のようになっている。

 

 1位:えびす屋 鎌倉店

 2位:鎌倉 小町通り

 3位:江ノ電

 4位:高徳院(鎌倉大仏)

 5位:鎌倉ハイキングコース

 

5位から順番に私見を述べさせていただく。まず「鎌倉ハイキングコース」。とてもアバウトな表現です。たしかに鎌倉のハイキングコースは僕もとてもいいと思う。だけれども、コースはたくさんあるのだから、もっときちんと説明しないと、訪れたことのない人にとってはそのようなコースが一本だけあるように勘違いするのではないかと思う。4位の鎌倉大仏。僕は嫌い。観光客が多すぎるから。3位の江ノ電。好き。いいと思う。江ノ電の車窓から眺める稲村ケ崎の海辺の風景は本当に素晴らしいと思う。でも江ノ電は交通機関であって、江ノ電を目的に観光するのは鉄道マニアのあいだの世界でいいのではないかと思う。マニアの世界が3位にランキングされるのは違和感がある。2位は小町通り。小町通りは電車で鎌倉駅を降りれば、ほぼ必ず通る道。1位はえびす屋。人力車サービスのお店なんですけど(苦笑)。まあ百歩譲って人力車を使って鎌倉を巡るというのは気持ちがいいものなのかもしれないし、人力車を引くお兄さんがいい場所に連れて行ってくるのかもしれないが、それでも移動手段に過ぎない。

 

もちろんこれらは僕個人の趣向とは違うということを意味するに過ぎない。こうした旅行サイトの評価や口コミを信用できないなどというつもりはない。参考にしてもいいと思う。なぜなら上位にランキングされている観光地(?)はとても「有名」だから。「鎌倉大仏を見てきましたよ」と言えば、「あそこね。わたしも行ったことがある」という会話は成立しやすいわけである。しかしそのことと旅の質とは無関係である。旅の質というのはその人間の趣向に大きく影響を受ける。鎌倉の上位5位は「とにかく有名なところが行ければいい」という人には参考になるだろう。ただそういう人ばかりではない。たとえば僕の場合のように「禅」に強い関心がある場合はランキングは全く変わるだろう。ちなみに僕の"鎌倉の観光地"上位5位は

 

 1位:海蔵寺

 2位:瑞泉寺

 3位:江ノ電からの稲村ケ崎の海辺の光景

 4位:円覚寺

 5位:半僧坊(建長寺の奥の丘にある)からの眺望

 

といった感じだろうか。スポーツ好きな人の場合は全然別のランキングになるだろう。サーフィンやフィッシング、サイクリングやハイキングなどのスポットがランキングされるだろう。僕が言いたいのはつまるところ、旅というのはAmazonの商品とは違うということである。他人の評価はあまりあてにならないのである。

 

だから旅について言及する限り、個人の趣向の影響からは逃れられない。本サイト"BUNTABI Project"ももちろん例外ではない。共感を得られるかどうかはまったくの未知数である。それでもこのようなProjectを開始しようと思ったのは僕個人の趣向に合った旅行サイトがなかったからに過ぎない。"BUNTABI"とは文章を通じてイメージの旅をしてみよう、という試みである。ネットには旅先の画像は豊富にあるし、動画さえ無数にあるだろう。しかしそれらは現在に属するものだ。画像は過去のものも多くあるかもしれないが、写真以前まで遡ることはできない。一方で文章はカメラ普及前の時代から多くが残されているはずだ。紀行文であれ、小説であれ、短歌や俳句や詩の形であれ、日本のどこかの土地と結びついた文章が今も残されているはずなのだ。だから文章を通じて旅をするということは過去の日本をその作者の感覚を通じて旅するということである。また文章は画像や動画では表現できないある種の力を秘めている。すぐれた文章は僕らの眼前に海や山を展開し、僕らの耳元に波や葉擦れの音を奏でることができる。それらはただのイメージに過ぎないと言われるかもしれないが、イメージすることが現実であると考えれば、過去に書かれた文章は現在の現実にさえなりうるのだ。

 

このようなことから本サイトは「著作の引用」がメインとなるだろう。この試みがうまくいくのかどうか不安である。だがもし引用が累積していき、それらのどれかを目にした閲覧者が、その引用をきっかけに旅に出てくれたとしたらこれほど嬉しいことはない。無数の文筆家に対し、尊敬の念を新たにしつつ、BUNTABI Projectを開始することとしよう。