BUNTABI Project

BUNTABI = 文旅 / 偉大な文筆家たちの美しい文章を通じて、過去の日本を旅するProject

板谷峠

場 所:福島 山形 板谷峠

作 者:若山牧水

作 品:渓をおもう

初 出:不明

季 節:夏

 

蒼空を限るような山と山との大きな傾斜が相迫って、そこに深い木立をなす、木立の蔭にわずかに巌があらわれて、苔のあるような、無いようなそのかげをかすかに音を立てながら流れている水、ちいさな流、それをおもい出すごとに私は自分の心も共に痛々しく鳴り出づるを感ぜざるを得ないのである。

 

(中略)

 

福島駅を離れた汽車が岩代から羽前へ越えようとして大きな峠へかかる。板谷峠といったかとおもう。機関車のうめきが次第に烈しくなって、前部の車室と後部の車室との乗客がほとんど正面に向き合うくらい曲り曲って汽車の進む頃、深く切れ込んだ峡間の底に、車窓の左手に、白々として一つの渓が流れているのをみる。汽車は既によほどの高所を走っているらしくその白い瀬は草木の茂った山腹を越えて遥かに瞰下されるのである。私のそこを通った時斜めに白い脚をひいて驟雨がその峡にかかっていた。

 

■一言

板谷峠は現在、JR幹線の中で最も急な勾配を有しているそうである。

 

■関連リンク

 ▶板谷峠俯瞰写真展

 ▶若山牧水 - Wikipedia

 

琵琶湖

場 所:滋賀

作 者:横光利一

作 品:琵琶湖

初 出:不明

季 節:夏

 

舟に灯籠をかかげ、湖の上を対岸の唐崎まで渡って行く夜の景色は、私の生活を築いている記憶の中では、非常に重要な記憶である。ひどく苦痛なことに悩まされているときに、何か楽しいことはないかと、いろいろ思い浮かべる想像の中で、何が中心をなして展開していくかと考えると、私にとっては、不思議に夜の湖の上を渡って行った少年の日の単純な記憶である。これはどういう理由かよくは分からないが、油のようにゆるやかに揺れる暗い波の上に、点々と映じている街の灯の遠ざかる美しさや、冷えた湖を渡る涼風に、瓜や茄子を流しながら、遠く比叡の山腹に光っている灯火をめがけて、幾艘もの灯籠舟のさざめき渡る夜の祭の楽しさは、暗夜行路ともいうべき人の世の運命を、漠然と感じる象徴の楽しさなのであろう。

 

(一言)

ネット検索した限り、現在の琵琶湖の夏祭りでは灯籠舟は使われていないようだ。

 

(関連リンク)

横光利一 - Wikipedia

秋の暈

場 所:長野 信濃追分

作 者:織田作之助

作 品:秋の暈

初 出:不明

季 節:秋

 

十時何分かの夜行で上野を発った。高崎あたりで眠りだしたが、急にぞっとする涼気に、眼をさました。碓氷峠にさしかかっている。白樺の林が月明かりに見えた。すすきの穂が車窓にすれすれに、そしてワレモコウの花も咲いていた。青味がちな月明りはまるで夜明けかと思うくらいであった。しかし、まだ夜が明けていなかった。

やがて軽井沢につき、沓掛をすぎ、そして追分についた。

薄暗い駅に降り立つと、駅員が、

「信濃追分!信濃追分!」

振り動かすカンテラの火の尾をひくような、間のびした声で、駅の名をよんでいた。乗って来た汽車をやり過ごして、線路をこえると、追分宿への一本道が通じていた。浅間山が不気味な黒さで横たわり、その形がみるみるはっきりと浮び上がって来る。間もなく夜が明ける。

人影もないその淋しい一本道をすこし行くと、すぐ森の中だった。前方の白樺の木に裸電球がかかっている。にぶいその灯のまわりに、秋の夜明けの寂けさが、暈のように集っていた。しみじみと遠いながめだった。夜露にぬれた道ばたには、高原の秋の花が可憐な色に咲いていた。私はしみじみと秋を感じた。

 

(一言)

秋の暈、というタイトルの"暈"をはじめ、”めまい”と読んでいた。すると裸電球の「にぶいその灯のまわりに、秋の夜明けの寂けさが、めまいのように集っていた」となり、よく意味が取れない。調べると”暈”は”かさ”とも読み、太陽や月の周囲にぼんやりと発生する淡い光の輪を意味する。こちらを採るべきだろう。

 

ワレモコウ

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湯ヶ島

場 所:静岡 湯ヶ島

作 者:島崎藤村

作 品:伊豆の旅

出版年:1909年

季 節:春

 

ここへ来ると、もう全く知らない人の中だ。北伊豆の北伊豆らしいところは、雑踏した修善寺に見られなくて、この野趣の多い湯が島に見られる。何もかも我々の生活とはかけ離れている。

(中略)

夕方から村の人は温泉に集まった。この人達はタダで入りに来るという。夕飯前に温まりに行くと、湯槽の周囲には大人や子供がいて、多少我々に遠慮する気味だった。我々はむしろこの山家の人達と一緒に入浴することを楽しんだ。我々の眼にはいろいろなものが映った。-激しく労働する手、荒い茶色の髪、僅かにふくらんだばかりの処女らしい乳房、腫物のできた痛そうな男の唇・・・。

 

(一言)

のち十数年後、川端康成が湯ヶ島を訪れ『湯ヶ島の思い出』を書いた。さらに四年後、26歳のときにそれをもとに創作したのが『伊豆の踊子』である。また若山牧水もここを訪れ、『山桜23首』を残している。

 

(関連リンク)

湯本館

川端の宿・湯本館

場 所:長野

作 者:新田次郎

作 品:山の歳時記

出版年:1963年頃

季 節:夏

 

子どもの頃私は峠に立つと必ず放尿した。峠で放尿すればいいことがあると私に教えてくれたのはその頃の村の餓鬼大将の少年だった。私たちは大将に命ぜられるままに、どんないいことがあるかも聞かずに筒先を揃えて放尿したものである。中学生になってからである。数人の学友と、夏休みに諏訪から塩尻峠を越えて松本まで歩いたことがある。今のようにむやみやたらと自動車が通らないからなかなか快適な旅行だった。この時も私はこの峠の頂上で仲間達と揃って放尿した。ここで放尿すれば、それはやがて日本海と太平洋に分かれて流れこむのだという理屈をつけていた。確かに、諏訪側へ流れる水は天竜川へ入り太平洋にそそぎ、松本側へ下れば犀川を経て信濃川に吸収され、やがては日本海へ流出する。その時のよく澄んだ青空と蝉の声が今もなお私の印象に鮮明である。

 

(一言)

高所からの放尿は男の密かな楽しみである。

老神温泉

場 所:群馬 老神温泉

作 者:若山牧水

作 品:みなかみ紀行

出版年:1924年

季 節:秋

 

これはまたたいへんな所へ湯が沸いているのであった。手放しでは降りることも出来ぬ険しい崖の岩坂路を幾度か折れ曲がって辛うじて川原へ出た。そしてまた石の荒い川原を通る。その中洲のようになった川原の中に低い板屋根を設けて、その下に湧いているのだ。這いつ座りつ、底には細かな砂の敷いてある湯の中に長い間浸っていた。いま我らが屋根の下に吊した提灯の灯がぼんやりとうす赤く明るみをもっているだけで、四辺は油のような闇である。そして静かにして居れば、疲れた身体にうち響きそうな荒瀬の音がツイ横手のところに起こっている。ややぬるいが、柔らかな滑らかな湯であった。屋根の下から出て見るとこまかな雨が降っていた。石の頭にぬぎすてておいた着物は早しっとり濡れていた。

 

 

(一言)

100年前の当時は今ほどに温泉インフラが整備されていなかったのだろう、本書「みなかみ紀行」にはこうした野外温泉がいくつか描写されている。

 

(関連サイト)

老神温泉旅館組合公式サイト

【公式サイト】老神(おいがみ)温泉旅館組合|旅館・ホテルの宿泊検索予約・観光情報

 

越後瞽女(ごぜ)

場 所:群馬 法師温泉

作 者:若山牧水

作 品:みなかみ紀行

出版年:1924年

季 節:秋

 

吹路の急坂にかかった時であった。十二三から二十歳までのあいだの若い女たちが、三人五人と組を作って登って来るのに出会った。真先の一人だけが眼明で、あとはみな盲目である。そして各自に大きな紺の風呂敷包を背負っている。聞けばこれが有名な越後の瞽女であるそうだ。収穫前のちょっとした農閑期を狙って稼ぎに出てきて、雪の来る少し前にこうして帰ってゆくのだという。

 

(一言)

瞽女と書いて、ゴゼと読む。盲目の女性の芸人で、三味線などを弾き歌いながら北陸を中心に巡業した旅芸人である。テレビやラジオのない時代の、農閑期における娯楽として受け入れらていたという。細々とではあろうが、今でも芸の継承は続いているようである。

 

www.echigo-gozeuta.com